今日あたりから白石町界隈でも他県ナンバーの車が目立ってきています。東京、大阪のナンバー、広島、名古屋、新潟、北海道まであって、改めて遠くに出て行っている人が多いなあと思います。
誰でもどうしてこう間が悪いんだろうという時があると思いますが、自分もよくあります。
無事終わった姪の結婚式ですが、料理がフランス料理のコースで滅多にありませんから少し戸惑いました。私の両親もそうで次の日の夕食時、何を食べたんだか分からないし食べた気がしなかった等言っていて、終いに、「この野菜炒めの方がよっぽど旨か」と言ってゲラゲラ笑っていました。そこへ丁度、写真が出来たと妹が急に来ました。私もとことん馬鹿で、今料理の話をして盛り上がっていたなどと大口を開けて言ってしまいました。妹は極めて心が広いので翌朝の私の釈明のメールで事なきを得ましたが。
先日、その内相続の事で相談するかも知れないと言っておられた方のお見舞いに病院に行くと、普通はそんな時間に見えない家族の方がたまたま居られ御挨拶しました。私が行政書士だと知っておられた様で、後で何か勝手に相談しているのではと少しもめたそうです。
気を付けている積りでも渡る世間には間が悪い事が結構あります。
台風が佐賀をそれてくれて助かりましたが、又蒸し蒸しした暑さになって体にこたえます。
昨日は博多で姪の結婚式があり参加しました。最近は女性も初婚年齢が30歳位だと聞いていますが、それより未だ大分若いので列席された友人達も若い人が多かったです。
父親がいないので心配していましたが、新郎だけ先に入場し、その後母親との懐かしい写真が映し出されて新婦が現れ、母親が迎えに行きバージンロードを手をつないで歩いて、最後に新婦の手を新郎に預けるという形でした。家庭の事情に合わせて粋な演出を考えてくれるものだと感心しました。
写真の中に33歳で病死した父親が、生まれたばかりの姪に添い寝しているものがありました。恥ずかしながらこれにはさすがに涙腺が緩みました。皆んなそうでした。
誓いの言葉の時、神父の言う一言一言に新婦が相づちをするように頭を動かすのが後ろから分かり、改めてこんな性格なんだと思いました。
母親も時々スタッフに指示されながら落ち着いて堂々と行動していてこれにも大変感心しました。お疲れ様でした。
明日にでも父親の墓に報告に行きたい気分になっています。高い所から見ていてくれたと勝手に思っていますが、もう少し色々話をしておけば良かったと昨日は特に思いました。
八月になりました。やはり、この月には、お盆、終戦記念日、原爆投下の日があり、亡くなった人や平和について考えさせられます。
この日曜に姪の結婚式があります。普通なら可愛い姪のめでたい船出を祝ってやろうとデーンと構えている所ですが、私の場合はそうも行きません。姪は福岡の私立の小学校に教員として勤めて三年目、自分も開業三年目に突入しました。社会的に見れば同等、いや負けていると思います。もう給料をもらう身だからとお婆ちゃん(私の母)に色々買ってくる時等に実感します。
早くに父親が病死して寂しい事も多かったでしょうが本当に素直な女性になりました。父親の亡くなった時と一番下の弟が生まれた時がほぼ同じ時期でした。父親の病院と母親の入院した産婦人科が近くで、伝言係として一日に何度も小走りで往復していました。伝える中身は殆ど母親の励ましの言葉でしたが。
人生の先輩として背中を見て貰える叔父さんになりたかったと残念に思う気持ちもありますが、同じ時代を肩を並べて疾走する仲間でも、それはそれでいいじゃないかとも思うのです。勿論、自分の勝手な想いですが。
彩也香さん、結婚おめでとう!末永くお幸せに。
次の書き込みはもう八月かと思ったりすると、色々今年の目標を決めたはいいが進捗状況はいかがなものかと悩ましい所です。6日の日曜には姪の結婚式が博多であるので身辺が少し慌ただしくなっております。
アップした写真は伸びた庭の木を切って集めたもので、年に一度役場の回収に持って行きます。拙宅は庭だけは結構広く、父親が趣味で色々な木を何本も植えているので量が多いです。妹の所から軽トラックを借りますが目一杯積んでも3往復はしなければなりません。この暑さなので大仕事です。父親と全く嚙み合わない会話をしながら何とか運びます。毎年職員さんに、「今年も多いですね」と嫌味を言われるのにも慣れました。
父親の知り合いが、「うちはこんなになかったが、頼んで切って貰ったら3万円掛かった」と言っていました。横で聞いていて5千円で行ったのにと思いましたが、やはり切り方に技術があるようです。そう言えば、父親も何もしないくせに、「もう10センチ短く」とか「その枝は具合が悪い」などブツブツ言います。しかし、枝の伸びる速さにはビックリします。
五月の末に書き込んだ大学の後輩A君と二十数年ぶりに再会しました。
彼はKEIRIN.JPに勤務していて佐世保のミッドナイトレース開催の日の昼間に、わざわざ肥前竜王駅まで来てくれました。お互い年を取ったので容姿も大分変わっているだろうと思っていましたが、驚くほど若々しく見えました。空白を全く感じず話すことが出来ました。彼は大阪に自宅があるし、全国を単身赴任しているので大勢の学友と会う機会が多く、何人もの近況を聞くことが出来ました。順調に暮らしている人、ええっ!と思わず声が出る程苦労している人、本当に色々です。
近くのラーメン屋で生ビール片手に話が尽きませんでした。彼の仕事の話になり、競輪の業界も随分様変わりしたと言っていました。昔はひいきの選手がいて応援しているファンも多かったが、今は観客も入れずネットだけでやるレースも多く人件費等コストも掛からないので主流になりつつあるとの事。賭けるという面が圧倒的になったのかなと思いました。
たった四年の大学生活でしたが、その後の生き方を真剣に模索していた事を思い出しました。A君はもう一年ほど筑紫野市で単身赴任なので、又必ず会おうと駅のホームで別れました。