昼間は暖かくなりました。
用事があり武雄の土木事務所に行きましたが、去年までと様子が違っていました。部屋の中に入れず、外にある内線電話で連絡を取り職員を呼び出すようになっていました。各事務机の配置図が貼ってあり、それぞれ職員の小さい顔写真があります。誰を呼び出したらいいのか見当が付かない事もあり、少し睨めっこしていました。横を何人か知らんぷりで通って行きましたが、やっと一人、「分かりますか」と助け舟を出してくれました。無事、用件を済ませる事が出来ました。隣の福岡県にも緊急事態宣言が出て、佐賀県も過去最高を更新していて緊張感が高まります。
そんな中、高校の同級生の鶴田君から連絡があり、「ホームページを作る事になり、君の関係の制作会社で出来ないだろうか」と。予定している費用は5万円ほどだという事でした。お付き合いのある制作会社に恐る恐る電話しました。電話の先の社員さんが暫く絶句しているのが分かりました。そう伝えると、「仕方ない。自前でやったら只だからな」と言っていたので安心しました。私もホームページを開設して5年になりますが、まだまだ分からない事だらけです。
病院にかかれず、病院に入院出来ずに亡くなる人も出て来た感染拡大。早くGO TOを再開したいという大臣、感染拡大の行方は神のみぞ知るという大臣、自治体に突き上げられて緊急事態を宣言する首相、感染爆発は人災という面も顕著になって来て、行動を自粛しながら声を上げていくしかありません。
佐賀でも五年ぶりの大雪になりました。たまの積雪でも右往左往するので、雪国の人達はどんな苦労をして生活しているのかと思います。
そんな中でも、どうしても外出する用事があり緊張して車を出しました。大雪三日目で雪は殆どありませんが、積雪している時より凍結が怖くてノロノロ運転です。以前話のあったスタッドレスタイヤを譲ってもらう件を勧めておけばよかったと後悔しました。世間は幸い三連休でしたが、これだけ外出しなければいけない人もいるんだとも思いました。無事、用件を果たし帰宅できたのでよかったです。
年明け早々でしたが、母親の主治医の先生の説明を妹と聞きに行きました。栄養状態が改善され少し元気になったと知り安心しました。血管や臓器をメモ用紙に簡単にスケッチして説明する丁寧な先生で、面会出来ないので要望があれば動画を撮ってきますよと言ってくれました。ユニークな面もあって、「医学とは関係ない話で恐縮ですが」と人間の魂の事、死後の世界の事など、加えてそんな事を考える事によって悲しみが和らぐ事など展開してもらいました。私は日頃殆ど考えない視点ですが、配偶者が早くに病死した妹には琴線に触れる物があった様で、「いい先生だと思う」と言っていました。
念の為に延命治療の事もと先生から色々聞かれましたが、妹は、「延命処置は基本的にお断りします」と言いました。ケアマネージャーで現場を知っていて、「心臓マッサージでも高齢者は骨が折れる事が多い」とか教えてもらいました。根底には自分より母親を心配している気持ちがあるような気がして、大阪の佐世保の先輩の妹さんも延命処置を断った話を思い出しました。自分と先輩を一緒にしては失礼ですが、女性の方が現実的で情が深いのでしょうか。
新年おめでとうございます。年末以上の寒波が来るという予報ですが。
昨年同様に、三が日の2日に鹿島の介護施設にお邪魔して仕事のお手伝いをしました。去年もそうでしたがバイパスを行き交う車は結構多く、正月休みも社会を支えるエッセンシャルワーカーの人達かと思いました。
年始の挨拶もそこそこに慌ただしい業務がスタートしましたが、何となく新鮮な気持ちがしました。箱根駅伝の初日でテレビで放映していましたが、ある女性職員が明らかに画面に目をやることなく音声すら無視する様子だったので気になっていました。休憩の時に聞いてみると、「箱根駅伝の大ファンで毎年テレビにかじり付いてるけど今年は仕事。帰って録画を見るから」という返事。若者たちの一生懸命なドラマがたまらないと熱く語っていました。次の日も出勤と言っていたので、最終ランナーの奇跡的な大逆転も録画で楽しまれたのか興味のある所です。
その日は残念なアクシデントもありました。太良町から出勤していた職員の人が、「少し体調が悪い」と言って血圧を測ったら上が170近くありました。皆に勧められて静養室で横になっていましたが下がりませんでした。本人も心配になり運転も用心した方がいいとなり、家族が二人迎えに来られ病院に向かいました。その後、回復して大事なかったと聞き安心しました。臨時収入が入ったから、と昼食に寿司の出前を取って同僚に振る舞う豪気な方です。
感染拡大が止まらず不安な中で迎えた新年ですが、希望を持って暮らして行きたいと思います。
今年最後の書き込みになりました。
私が言うまでもなくコロナ禍に明け暮れた年でした。亡くなった方のご冥福をお祈りし、感染された方には心からお見舞い申し上げます。医療従事者の方々には尊敬の念しかありません。
幸い自分自身は感染せず健康に暮らせましたが、やはり大きな不便がありました。仕事の依頼の声が掛かっても、感染者が多く出た地域への訪問は自粛する事もありました。必要な書類、証明書を取りに行く際にも気を遣いました。皆さんと同じように、友人宅への訪問、会食も殆どしませんでした。そんな中、ホームページの縁で遠方の同業者の方との交流があったのは嬉しい事でした。
母親の病気等、来年も続く心配事もありますが、今年前進したことは励みにして頑張って行きたいと思います。開設5周年になったブログを読んでもらう方も、多い月には800人近くになりました。その中から、まだまだ少ないですが連絡を頂く方も出てきました。
社会の在り様が本当に経済成長一辺倒、利潤第一主義で良いのか、自分自身も例年より真剣に考えた年でした。歳相応の知識、見識、能力を身につけるための努力を惜しんではならないと、年の瀬の自分に言い聞かせています。
今年は何時もより冷厳な気持ちで御挨拶申し上げます。今年、私に関わって頂いた皆さん、本当にありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。良いお年を。
今年の年末年始は厳しい寒波が来るという予報です。大雪の心配のある所もあります。
時々、お手伝いに行っている鹿島の介護施設のクリスマス会が行われました。連絡があったので私も参加しました。
私は知りませんでしたが、とうとう鹿島市の在住者にも感染者が出たそうで皆さん心配そうでした。が、利用者さんに喜んでもらう催しなので、そこは気分を切り替え頑張り盛会でした。事前に「小梅太夫」の動画を見てこいと言われたので見ていきましたが、はっきりと意図が分かりませんでした。施設では準備で全員バタバタしていたので隅の机で書き物を一手に引き受けていると、「それは別の人がやるから」とお風呂場の更衣室に連れて行かれました。そこには施設で一番レクリエーションの得意な女性職員が顔を真っ白にして次の紅を塗っている最中でした。「ああ、この人が小梅太夫をやるんだな」と直ぐに分かりました。これは受けるだろう、と感心していたら、「あなたも早く準備して」と急かされました。顔を作り派手な着物を着て仕上がるまで20分も掛かりませんでした。
私のささやかな長所は諦めよく開き直れる点で、「動画の通りにやればいいじゃないか」と頑張りました。笑いが起き手応えがあり安心しましたが普通の姿に戻って座っていると、前の席の利用者さんが振り返って、しみじみと「面白かったよ」と言ってくれたのが嬉しかったです。
私に一番親切で療養中の職員さんも顔を見せていました。「来月の下旬には復帰できそう」と笑顔でした。帰り際には厨房の職員さんに、「南里さんの余興を見損ねちゃった」と言ってもらい、最初の頃に比べたら豊かな人間関係になったと少し感動しました。