12月になりました。
12月になった途端、今シーズン一番の冷え込みになり白石町の朝の気温は1度でした。車のガラスも凍りました。朝から佐賀市の法務局に行く用事があり出掛けましたが、途中から車の列が全く動かなくなりました。やっと五百メートルほど進むと酷い追突事故の現場がありました。暖房、服の調整など何時もより慌ただしい朝になったせいで、ドライバーの気持ちの余裕がなくなったのかも知れません。人が呆然と立っていて気の毒でした。この冬はまともに雪も降るという予報なので注意したいと思います。そう言えば、知り合いの人が未だ使えるスタッドレスタイヤを要らないかと言ってくれていたのを思い出しました。そこまではと断ろうとしていましたが検討する気になりました。
昨日は、プリンターのインクを買いに行きましたが、レジで、「年賀状の印刷もあるでしょうし大容量だと1.5倍でお得ですよ」と言われ、お得ならと買ってしまいました。帰路、値段も1.5倍したじゃないかと当たり前の事に気づきました。勿論、予定の予算をオーバーしました。自分にはよくある事で、こんな風じゃこのコロナ禍を乗り切る事は出来ないと反省しました。
母親の入院の誓約書の連帯保証人の署名押印の為に、私の留守中に妹が来ました。洗い物、掃除等助かりましたが、よくこんな所で寝れるなと感心していた父親の部屋も見事に綺麗になっていました。ありがとうございました。
一週間ほど真冬並みの寒さになるという予報です。
妹から連絡があり、芦刈町の親戚が亡くなったという事で、「自分もお通夜、葬式に行けないので香典を頼むようにするけど、そっちの分もしとこうか」と言ってくれたので、そうしました。そして、後日、ことづけていた大町の親戚に挨拶かたがたお金を持って行きました。昔から商店街で衣料品店をやっています。訪問するのは何十年ぶりでしょうか。
店に入ると奥の方に私ぐらいの年の男性が居て知らない人だったので店を手伝っている店員さんかと思い、「南里さんはおられますか」と尋ねました。先方は怪訝な顔で、「うちが南里ですけど」と。直ぐに一つ年下の従兄だと分かりました。会うのは中学生以来です。お互い懐かしかったですが、商店街の寂れようは悲しいものです。子供の頃の商店街の賑やかだったことは今でも良く覚えています。夏祭りは、人でごった返していました。
その日はその足で母親が入所している老人保健施設の横の病院に向かいました。食事が喉を通らなくなり、用心のため入院する事になりました。一目様子を見なければと、早めに待合室で待っていましたが中々来ません。約束より15分ほど経って、事務の職員が入院の説明をしたいと声を掛けて来ました。母親はもう2回の病室に上がってしまっていました。病院も現在面会禁止になっています。前日に、対面はお願いしていたので流石に腹が立ち交渉して5分だけ会えました。
点滴だけなので、まともに声が出ず、私は励まさなければの一心で、「みんな心配してるけどコロナで会えんとよ」と大きな声で言いました。横に看護師がいましたが、私は目から涙が溢れるのを止める事が出来ませんでした。そんな事はいくらでもあるのは分かっていても、こんなに真面目に生きて来た人が辛い事になっているのが悲しくて仕方ありませんでした。
晩秋の晴れの日が心地良い季節です。
高校の同級生の鶴田君からメールが来て、「知られていないが筒井順慶は明智光秀の実の弟だ」とありました。丁度、前回の「麒麟がくる」では、明智光秀が筒井順慶に堺の商人から手に入れた鉄砲を譲ってほしいと対面する場面があったので驚きました。歴史に詳しい彼の言う事なので根拠があるのでしょう。今回、時代考証をしている方も権威のある人なので歴史というのは複雑だし面白いと思います。
奇襲で成功したと思っていた桶狭間の戦いも、正面から両軍対決したという説が有力になっているようで、それは今回の大河ドラマでも窺えました。自分が学校で日本史を習い始めた頃の明智光秀のイメージも、色々な検証で随分変わってきました。過去を見ないと先の事も分からないと思いますが、定説と言われる事も勝者、支配者の視点からのものもある点は意識したいものです。
お世話になっている鹿島の介護施設から連絡があり、「南里さんにも交通費を支払う必要があると労働局から指摘を受けた」との事でした。持参すると言うので流石にそれは恐縮だと思い出掛けました。せっかくなのでホールを覗いて立ち話をしましたが、職員のMさんが膝を悪くして来年まで休んでいるとの事。私に一番親切に接してくれ、たまに仕事に行った時に彼女が出勤していると安心しました。私の自宅の近所に友達がいて、行政書士の仕事の事も気に掛けてくれていました。入院している病院にお見舞いに行きたいですが、コロナ禍で面会出来ないそうで残念です。
この時期に夏日になるという記録的な暖かさです。
全国の感染者の数が、連日最高を更新していて緊張感があります。来週、帰省予定だった大阪の佐世保の先輩から連絡があり、今回は取り止めるとの事。大阪も大変なので予想はしていましたが。ひと時、鉢盛料理で歓談をと思っていたので残念です。佐世保の妹さんも、暗に見送ってほしいという感じだったそうで仕方がありませんが。自分も田舎にいるので、大阪の親戚が帰省する事への厳しい目は分かる気がします。
先輩と雑談になりましたが、大阪駅周辺の立ち飲み居酒屋なども満員で密になっているそうで、やはり警戒が緩んでいるのではと言っていました。コロナ禍の自粛も流石に長いので、そんな面もあるのでしょう。ワクチン開発で2件ほどいいニュースがあって期待したい所です。
私はコンタクトレンズを眼科で購入していましたが、遠いので不便に思っていました。思い切って病院を変えようと受診しました。コロナ禍でもマスク着用の患者さんで大変混雑していました。思いの外、時間が掛かりました。医者は私の一学年上だった方で懐かしかったです。若々しく物腰が柔らかく、素晴らしい歳の取り方をされていると感心しました。スタッフの皆さんも丁寧でしたが、全員女性だったので珍しいと思いました。
色々検査をして、「今の度数では少し強いですね」と言われ、意外だったので定期的に受診しなければと認識を新たにしました。
11月も半分過ぎました。
心配されていた感染の拡大が現実になり心配です。佐賀県でも初めて介護施設でのクラスターが発生し、感染者が白石町でも出ました。県内で初めて亡くなった方も出てしまいました。寒くなって感染が増えるのはウイルスの働きの関係かと思っていましたが、もっと大きな原因は密閉された空間に人が集まり易い事、手洗いがおろそかになる事だと専門家が言っていました。
私と同じように、介護施設に母親を入所させている高校の同級生の鶴田君が久しぶりに来ました。年末年始の準備に忙しそうで、その上先日書き上げた歴史小説の印刷、終活の一環の肖像写真の撮影もあるようです。去年に引き続き忘年会もしたい所ですが、どうなりますか。
前回も書き込んだ白石町の学校統廃合問題では私の父親も奮闘していますが、打ち合わせの会議を拙宅でする事になりました。それはそれで大事な事ですが、掃除をしなければなりません。私一人で。母親が居なくなって半年、時々しますが十分ではありません。結構な人数が集まり、全面的に丁寧にやる必要があるので少し気が重いですが、早めの大掃除だと気持ちを切り替えました。役場の説明会にも自分は一回だけ出席しましたが、考える会のメンバーには毎回出ている人もいるので、気分良く会議をして欲しいとも思います。
今年中にやっておきたい事を考えますが、焦らず能率よくと思います。