3月も下旬になり早いものです。
流石にそろそろ床屋に行かねばと思い出掛けました。先客が多く漫画を読みながら待っていました。珍しく女性の客がいて、地元の馴染みの人らしく店員と話が弾んでいました。暫くしたら新しい客が来て、又女性でした。
店長が声を掛けていました。「こんな時間に珍しいね。少し待ってもらうけど」「よか、よか。今仕事してないから時間あるし」。その朝、女性の自殺が急増したとの暗いニュースがあり、読んでいた漫画が闇金融の極端なストーリー、描写だったので、頭の中が完全にそのモードになってしまっていました。(コロナ禍で失業したのかな)。
待合のソファーに座ってからは真剣な表情でスマホの画面を見ていました。(金策で変な所から借りたりしないといいのに)。勝手な心配をしていました。
ドライヤーで仕上げをして貰っている女性からは大きな声が聞こえてきました。「近所の娘さんが車で帰省してたからおかしいと思ってたら離婚したらしくて。いつも仲良く帰省してたのに」(コロナ禍で収入が減ったりしてすきま風が吹いたのかな)(こっちでどうするんだろう)。
この日は客が多かったようで、建築関係の作業服の男性も入店して来ました。同じように店長が、「あれ、こんな時間に」と言っていました。その後、私が想像したことは分かってもらえると思います。
しかし、気楽な服でのんびり順番を待っている自分も、どう見えているか分かったものではありません。
佐賀県は桜の開花宣言が出て、春らしい陽気になってきました。
首都圏の緊急事態宣言が解除されるという事ですが、まだまだ心配な状況は続きます。
大阪の佐世保の先輩の長文メールで興味を引いたのは、国家公務員の総合職の受験者数が過去最少になったとの記述です。合格者は幹部になっていくわけですが、この間の様々な事件、不祥事に幻滅した若者が増えたのではと言っておられました。全く同感ですが、目に余るのは、「記憶にございません」の連発。明晰な頭脳を持っているくせにと腹が立ちます。国会で初めて耳にしたのは、未だ中学校に入らない頃のロッキード事件です。しかし、あの時は今の様に他人事のような物言いではなく、ある証人は緊張感の余り体が震えていました。公の場で嘘をつく重大性はしっかり理解していたのです。政治が劣化し、その周りにいる官僚の人達も深刻な影響を受けていると思います。
自転車で気分転換できる季節になり出掛けますが、会釈をしてくれる人が増え不思議に思っていました。父親に言ったら、「地区の役員になったからだろう」との分析。そういえば書面決議の総会の議案書に自分の名前が載っていました。役員を引き受けてもらった、と素朴に感謝されるご近所の皆さんには、こちらの方が恐縮します。2年間、精一杯務めたいと思います。
長く地区の役員も務めた父親ですが、学校統廃合問題の会議から帰って、「保護者世代の人に浸透しないとどうもならん」と疲れた表情でした。手前味噌ですが、真摯な姿勢は立派だと感じました。
春に三日の晴れなしで不安定な天気です。
高校の同級生の鶴田君からメールが来ていました。遂に、書き上げた歴史小説が印刷され今月末に納品の運びになったそうです。鹿島市の印刷会社に取りに行くそうですが、手伝ってほしいとありました。彼は現在運転をしないので大変だと思います。万障繰り合わせて運搬をしたいと考えています。何冊出来上がったか知りませんが、早晩市中に出回ることでしょう。
もう一つ書いてあって、母校の白石高校を訪問するそうです。今、校長を同級生だった女性が務められていて、彼の蔵書を図書館に寄贈する話がまとまったとのこと。暇なら同行をとの誘いでしたが、母校の校長先生と会うのは恐れ多いので、こちらは辞退したいと思います。かの女性はテニス部に所属していて、写真部だった鶴田君がよく撮影していたのを覚えています。断って撮っていたのか、無断で撮っていたのかは忘れてしまいましたが。再会の際は、話題になるかも知れません。
時々お手伝いに行っている鹿島の介護施設の職員さんから電話があって、4月で退職する方の送別会があるそうです。私もお世話になったので辞められるのは残念ですが。少し、雑談になったのはホワイトデーにまつわる話です。介護施設は普通、女性職員の比率がかなり高いので当然ホワイトデーのお返しの時は、男性職員の出費が多くなります。去年、男性職員の間で若干トラブルがあり、今年はバレンタインデーの前に、「自分は遠慮します」と申し出た男性職員がおられたとの事です。去年、自分はチョコレートを貰ってお金を請求されなかったので、大いに関係していると感じ少し落ち込みました。
早いもので3月も中旬になろうとしています。
東日本大震災から10年が経ってテレビや新聞も特集番組や記事が多いですが、「10年経ったけど自分にとっては昨日の事」という声がいくつもあり、何とも言えない気持ちがします。
ラジオで、長い間真面目に被災地の取材をしていたNHKの人が被災者への真剣な気持ちを述べた後に、「大変な原発事故が起こってしまったが、温暖化対策として原発が必要という意見にも説得力がある」と言っていました。世界の潮流は再生可能エネルギーだと思うし、多くの避難者を取材して来ただろうにと残念でした。12日には玄海原発の佐賀地裁の判決があります。
久しぶりに農地転用の相談がありました。この手続きをお手伝いしていて何時も思うのは、これだけ農地を保全する為に細々と農地法等で定めているのに、肝心の国の政策は逆のベクトルだという事です。まだまだ、食料は外国から買えばいいという考えが根強い気がします。
先ずは申請書を一式と役所に行きました。感染対策でカウンターには余すところなくビニールがありました。応対してくれた職員と少し話をしたら、「その件は本人さんと別の職員が話をしていました。今は確定申告の応援に行っていて」と。私は申請書を貰えばよかったのですが、改めて色々聞いてこられました。ところが、「自宅には今住んでいるんですか」「転用希望の農地の名義は本人さんじゃありませんね」(だから手続きをしようとしているのですが)と的外れな事ばかり聞いてきて正直困りました。40分ほどして申告会場から戻って来た職員が代わってくれ、無事用事は終わりましたが。異動があるので業務勉強中という事もありますが、直近の異動から何か月か経っているので如何なものかと思ってしまいました。
一雨ごとに暖かくなってきました。隣の福岡県は緊急事態宣言が解除になり、在住の知人なども少しはホッとしていると思います。佐賀県も8日からワクチン接種が始まります。先ずは医大や国立病院の医療従事者からという事です。
4月からは介護施設利用者、職員の接種が実施です。そんな中、時々お手伝いに行っている鹿島の介護施設から連絡がありました。県の担当課から接種を受ける人のリストを提出してほしいと言ってきたそうです。私も以前書き込んだように不安感は払拭したので希望しました。色々説明があるので久しぶりに伺いました。
施設長との話が終わりホールに行ってみると、私が目に留まった職員さんが話し掛けてきました。「もう仕事に来ないと聞いて。残念です」と切り出したので驚きました。「いえ、それどころか今ワクチン接種を希望してきたところです」と返すと、今度は先方が驚いて、「そうですか。皆そう言っていたので」と複雑な表情でした。仕事中なので長く話できませんでしたが、自分の母親の容態と結び付けて噂になったようです。決して悪意のある件だとは思いませんでしたが、噂というのは怖いものです。話した職員さんから上手く伝わればいいのですが。
その入院中の母親も長く面会出来ず着替えと新聞を届けるだけですが、病院に移ってからは一階の事務の人が受け渡しするだけなので様子が分かりません。病棟の勤務者が忙しいので、そうなっていると思いますが。たまに、「お変わりないようですよ」と伝えてくれる人がいて、その時は本当にホッとします。