六月になりました。梅雨入り間近の予報もありますが。
以前にも書き込みましたが、私が行政書士受験で利用していた受験指導校の伊藤塾は、投票価値の平等を目指す「一人一票運動」に取り組んでいて、賛同し選挙訴訟の原告団に名を連ねています。先日、引き続きお願いしたいとの連絡があり快諾しました。住んでいる所で投票価値に不平等があるのは本当に不合理だと思うし、依頼してきた弁護士や有志の皆さんのお陰で毎回裁判の場でチェックされるので貴重な事だと思います。伊藤先生は相変わらず、憲法の理念等を分かり易く講演する活動を精力的にやって居られるようですが。憲法擁護義務のある総理大臣自らオリンピックの年に改憲すると声高に言っている状況なので、尊い活動だと思います。
よくあるパターンですが、大河ドラマを見ていたら(申し訳ないですが余り面白くないので惰性で見ています)妹の末っ子で大学4年の甥が来て、就職のメドが付いたと喜んでいました。ニュースでは面接が解禁されたとか言ってるし事情がさっぱり分かりませんが、先ずはおめでたい事です。世相を反映してネット関係の会社ですが、最初の何年かは営業だという事で大変そうです。妹の方は最後の仕上げのこの一年、学費等の出費に頭が痛いと悩んでいました。何か言って、「00するなら金をくれ」と帰って来ても困るのでテレビを凝視していました。
今月最後の書き込みになりました。
大阪の佐世保の先輩から約二か月ぶりに長文メールが届き、直ぐに読みました。お母さんを大阪に引き取り、自分は今月一杯まで介護休暇を使って仕事を休み、お世話をされている様子が克明に書かれていました。私も介護の仕事の経験はありますが自宅での親の介護の経験はないので、こんなに大変なのかと正直驚きました。先輩の奥さんとは未だ馴染めず、先輩の負担が大きく夜も横で寝て見守りをしている事等も分かりました。
私の両親も読み暗い顔をして、「大変ねえ」と言いました。自分も両親の言動に腹の立つ事も多いですが、未だ元気な事に感謝しなければと心から思いました。ここ数年、お母さんの事で頻繁に帰省されていたのでお会いする事も多かったですが、もう佐世保に行く機会も滅多にないと思うと寂しい気もしますが11月には姪御さんの結婚式があるそうで再会が楽しみです。
朝のラジオのニュースで、先日のニュージーランドのテロ事件で、イスラム教に対して偏狭な発言をしたオーストラリアの国会議員に抗議して生卵を投げ、先方から平手打ちを食らい警官に取り押さえられた17歳の青年の事を伝えていました。動画が拡散され裁判の費用などにしてくれとネットで多額のお金が集まったそうですが、幸い裁判にならず全額を事件の被害者に寄付したと。その事に又称賛の声が寄せられていると。
うーん、自分も高校生の頃は今より何倍も純真だったなと思ってしまいました。
五月の観測史上最高気温があった所もあるようです。
少し前に児童文学サークル「ひしのみ」の福岡の会員の方から、新しく絵本を出版したからと一冊送られて来ました。千六百円もするので、お礼の連絡をしなければと思っていたのを忘れてしまっていました。慌ててしまいました。長らくお会いしていない上に今回の事なので、手紙でも書こうと思っています。
白石平野は特産の玉ねぎの収穫作業が最盛期ですが、この暑さは堪えるでしょう。私の家の裏の方で作っておられる人に聞くと、今年はよく取れて出荷の値段がかなり安いと言っていました。先月位は、「いいのが育っているので楽しみ」と言っていたので気の毒な気もします。早速、コンテナ一杯頂きましたが。
国会議員に立候補を予定している人が、講演中に驚くような差別発言をして開いた口が塞がりません。部落問題に関してですが。私が大阪時代に住んでいた所は、この問題と関係の深い街だったので自分なりに勉強しました。未だにこんな考えを口にする人がいる事に失望しました。
話は少し変わりますが、ある党が「失言防止マニュアル」を作って国会議員に配ったそうですが失笑しました。日頃考えている事が口から出る訳なので。建前と本音という事はあるでしょうが、大事な事は本音を言っても大丈夫な様に自らを律して行きたいと何時も思います。
まとまった雨が降ったり真夏日になったり変化の多い天気です。
大阪の佐世保の先輩からの長文メールが、ぱったり途絶え心配していました。何もなかったら忙しいのだろうで済みますが、ゴールデンウイークに佐世保のお母様を大阪に引き取ると聞いていたので、上手く行ったのか気になっていました。思い切って電話をすると元気な声で、「今、君の噂をしていた所だよ」と言われビックリしました。
お母様は無事大阪に引っ越され、元気にデイサービスにも通って居られるとの事。電話した夜は、先輩、奥さん、お母様の三人で世間話に花が咲いていた様です。私は涙が出るほど嬉しかったのですが、「佐世保でずっと世話をしてた妹の事は忘れてるのに、君の事は、アアあの人って覚えているみたいで。何でかね」と言って貰いました。勿論、自分にも分かりませんが。もし来阪する事があったら、又お会いしたいものです。
前回書き込んだ四十年前の文通相手を探して欲しいという依頼は、結局分かりませんでした。当時の住所の近くにMさんという親しい人がいるので、何とかなるだろうと甘く見てしまいました。一番の誤算は、今の世相と言うか雰囲気と言うか、何か情報を提供してしまったら変な事に巻き込まれるのではといった警戒心が物凄く強い事です。Mさんが幼馴染みや同級生に事情を説明して必死に聞いてもそれが若干あるので、自分では話になりませんでした。
千通以上手紙のやり取りをした人にもう一度連絡を取りたい、気持ちがよく分かりましたが、安請け合いした感は否めないので反省しています。
連休が終わったと思っていたら、今月ももう半分以上終わってしまいました。
午前11時頃、事務所のドアをノックする音が聞こえたので開けてみると、思わぬ人が微笑みながら立っていました。武雄の勉強会で一緒だった中原先生でした。約七か月ぶりの再会です。
「先週の杵藤支部の総会に来てなかったからどうしてるかと思って」と顔を見に来てくれました。毎年参加していましたが用事があり欠席していました。急な事でお茶を差し上げる位しか出来ず申し訳なかったですがお互いの近況等を話してたら、あっという間に一時間近く経っていました。駐車場まで見送り車に乗り込む際に真剣な顔で、「たまには県の事務所や学習会に顔を出した方がいいですよ」と言われました。走り出した車にお辞儀をしながら、これからも長くお付き合いをしたい先生だと思いました。
ホームページを見て時々問い合わせがありますが、少し変わった件がありました。神戸市に住んでおられる七十位の男性の方ですが、「40年程前に文通をしていた白石町の女性の消息を調べて欲しい」という内容です。昔の書類を整理していたら手紙の束が出て来て、懐かしい気持ちが込み上げて来たと言っておられました。手紙の数は何と千通以上。文通かあ、昭和の良き時代が蘇ります。私が大阪に居た事を話すと大変親近感を持って貰いました。意欲になる仕事なので頑張りたいと思います。