佐賀県行政書士会、武雄鹿島支部の年に一度の総会が鹿島市の割烹「清川」にて行われました。実は、今のこの支部名では武雄市、鹿島市以外の自治体(大町、江北、白石、太良、嬉野)がはっきりしないという事で、本総会で「杵藤支部」に変更になり旧名称での最後の開催となりました。
早めに会場に着くと、もう数名来ておられて懐かしい大町町の尾形先生の姿もありました。私を見るなり、「本当に自転車で来たんですか」と言われ驚きました。恥ずかしながら私は、自転車も飲酒運転になる事をしっかり認識しておらず、直前で電車に切り替えました。「ブログに書いてあったから」と尾形先生。同業の方と、ブログの事でしっかりお話出来たのは初めてだったので大変嬉しかったです。私は、この先生の誠実な、いぶし銀のようなお人柄を尊敬しております。決して、読者だからだけではありません。
宴会の横の席には来賓の赤司会長が座っておられ少し緊張しましたが、以前に旧北茂安町で町長をしていたと聞き驚きました。知らなかったのは私だけだったようです。これはいかん、大熊支部長から、「南里さん、そろそろ支部の事務局の仕事をしたくなったんじゃないですか」とも言われ、あんまりマイペースも考え物だと反省しました。
今日は佐賀県行政書士会、武雄鹿島支部の総会で夕方から出掛けないと等と思っていたら、書き込みをする日だと気づきました。これといったネタがないので少し前の事を。
有明海の諫早開門問題に熱心に取り組んでいる友人がいて連絡がありました。旧有明町にある二つの漁協に申し入れ・懇談に行くので同行してほしいとの事でした。お世話になっていますが、最初は渋りました。大いに関心はありますが、漁協の幹部と話す様な知識等ありません。が、横に居るだけでいいから、と言われ先方の車に乗り込む事になりました。
一つ目の漁協支所、さすがに友人は慣れたもので、何と上手く話をするものだと感心しました。辞する時に、自分も一言位と思って、「海苔をやってるF君は高校の同級生です」と言うと、支所長の女性が、「私もFさんと高校の同級生です」と。思わぬ再会にビックリしました。
二つ目の漁協支所。応接間に通してくれ、女性の職員さんがお茶を持って来てくれました。顔を見てビックリ。私の自宅の直ぐ斜め前のお家の奥さんでした。「行政書士以外にも色々やっておられるんですね」と意味あり気に笑っていました。そう言えば、母親が近所の法事で何人かから、「息子さんの仕事はどがんね」と言われたそうです。
この田舎の監視社会から抜け出し、都会に拠点を移そうと思うだけは思いました。
世間はゴールデンウイークが近づき、そわそわと浮足立っておられる方も多いのではないでしょうか。
晩御飯を食べていたら電話が掛かり受話器を取ると、意外な人でビックリしました。大阪時代の友人のU君で
二十数年ぶりです。ホームページを見つけてくれたそうです。ネット等なかった一昔前なら有り得ない事なので、時代も変わったものだと思いました。
阪大(普通は旧帝国大学の大阪大学を指しますが、南河内地方では阪南大学の通称でもあります。彼がどっちだったかは記憶が定かでありません。)を優秀な成績で卒業し、河南町役場の職員になりました。私より少し下の歳なので、勿論、管理職位にはなっているのでは、と言うと、「いえいえ、係の主任です」と言っていました。素朴な性格で、若い頃から全く上昇志向がなく少し持病もあるので、マイペースの職業生活を送っているのでしょう。
直ぐ思い出すのは、初めて彼の下宿に行った時の事。体調を崩して仕事も休んでいると聞き行ってみると、明かりは点いているのに鍵が締まり何度呼んでも出て来ません。管理人さんに、「中で死んでいるかもしれない」と連絡したら蒼い顔で飛んで来ました。部屋は空っぽで荒れ放題でした。同じく一人暮らしをしていた私が自信を持った程でした。後日、問い詰めると、「憂さ晴らしに天王寺辺りを彷徨っていた」との事でした。
丹後に遊びに行ったり、勉強会をしたり、山深い千早赤阪村にビラを撒きに行ったり、懐かしい思い出です。
春爛漫だと思っていたら少し肌寒い時があります。
熊本の震災から二年経ちました。多くの方が、今尚仮住まいの生活をされているとの事です。
震災直前の熊本に泊まり掛けで行った学習交流会を思い出します。福祉や社会保障に取り組んでいる集まりでしたが、先日佐賀市の会合に出掛けました。熊本のホテルで同室になり語らったSさん、大病で長く入院中だと聞いていて心配していましたが、来月退院出来そうだと。病気は軽くない癌だったそうで、ここまで回復された事を皆さん喜んでいました。私も少しホッとしました。
太良の山田果樹園の山田社長から連絡があり、今シーズン最後のデコポンの出荷作業を手伝って欲しいとの事でした。何年もの付き合いなので何とかしたいと思いましたが、ちょっと厳しいかなと。来れる日に合わせてスケジュールを組むとまで言って貰いましたが。人を使ってする仕事は、やはり大変な様です。他人事みたいで悪いですが。何日か前、シニア層に絞った新聞配達員の募集のチラシが入っていました。それより若い人はまず来ないそうです。アルバイト程度でよければ確かに色々あるでしょう。
佐賀県行政書士会の武雄鹿島支部の年に一度の総会の案内が届きました。私が入会して初めて鹿島市で行われます。私は大変喜びました。鹿島なら自転車で行けるからです。鹿島で一番と評判の高級割烹「清川」での再会が楽しみです。
寒の戻りもありましたが、学校の入学式も終わり春本番です。
この所、よく連絡を取り合うようになった福祉作業所YOUR GOODのHさんですが、先日も、「男性の利用者を増やしたい」と、頻りに言っていました。現在、殆ど女性で、それ故の難しさがあるという事です。色々説明してくれますが、実際の苦労は体験してみないと分かりません。
私も何か力になりたいと思い、父親の知り合いの家を訪問してみました。四十後半位の男性で、鹿島の作業所に長く行っていましたが、今年に入ってからはずっと家に居るとの事です。お母さんも心配しています。これといった障害はなく車も運転されるので、一歩外に踏み出せば何か開けてくるのではないかと思います。有明の干拓の方の家で、三度ほど行ってお母さんと話をしました。その都度、「いい話だからHさんの所にお世話になりたい」と真剣に言われますが、お願いする手続きを一向にされません。正直、自分も少し頭に来てHさんに相談すると、「その簡単な一歩が本人達には大変なんですよ」と、諭されました。う~ん、なるほど。やはり、プロは違うと思いました。
私も実は人の世話どころではなく、児童文学サークル「ひしのみ」の事で右往左往しております。他のメンバーは本気でプロを目指して自費出版している人も多いのに、高校の同級生T君の代わりの入った自分がどう関わって行くのか。思い余って、何年かぶりにT君の家を訪問した所、「そがん悩まんでよか。いざとなったら俺が代わる」という神対応でした。持つべきものは友だとしみじみ思いました。