一昨日、佐賀行政書士会の武雄鹿島支部で年に一回の広報・監察活動が行われました。
広報とは文字通り行政書士の仕事を広く認知して貰う事であり、監察とは言葉は大仰ですが平たく言えば行政書士の業務を他の人がやっていないかチェックすることです。実際には、役所、商工会、警察署等にポスターと会員名簿を配付して廻りました。
朝、集合場所の武雄市役所に行くと、「アレ、南里さん来たの」と言われます。私の参加のFAXが上手く届いていなかった様でした。出鼻を挫かれましたが直ぐに良い事があり、初対面の先生に、「ブログ読んでます」と言って頂きました。初めての事だったので大変嬉しかったです。
私達のグループは、大町町、江北町、白石町と廻りました。私は大町で生まれ、高校まで江北で暮らし、今白石に住んでいるので、一人で勝手に不思議な気分に浸っていました。
移動の車中で、他の先生方の活躍の様子なども聞き、大変刺激になりました。
朝晩はすっかり涼しくなりました。
武雄市に住んでいる昔からの知り合いの方とゆっくり話す機会がありました。長い間アルコール依存症に苦しんでおられましたが見違えれるほど元気になられました。ここまで来る治療の過程は壮絶なもので聞いていて背筋が寒くなりました。とにかく酒を飲む事が大前提で、その為に生活の全てを組み立ててしまうのが、この病気だと言っていました。
明日飲むかもしれないが取り合えず今日飲まないという意識の積み重ね、一人の努力では絶対無理で、断酒会や医療機関と必ず繋がっていく事が決定的に大事だという事でした。名前は出せませんが、あの有名人もそうだったと大勢の名前も教えて貰い、何時も世間の注目を集めていなければならないストレスからだろうと。
話の後半は少しスケールの大きい話にもなり、酒のコマーシャルがこれだけ制限のないのは日本だけだとか、とにかく大量生産大量消費の方向だけになっているといった話も盛り上がりました。ポケモンGOも死亡事故まで発生し、儲かれば後は野となれ山となれは本当におかしいと思います。
秋雨の頃で、これから一雨ごとに季節が進んで行くのでしょう。
夕方たまたま見ていたテレビ番組で何とも言えない気持ちになりました。21歳で亡くなった青年の話ですが、故郷で上手く行かず、周囲の援助もあって何とか高校を卒業して上京しましたが中々仕事がありません。行き詰ってホストになります。指名が付かず報酬も増えないので、強い酒の一気飲みを売りにします。最後にはアルコール度数45のテキーラのグラスを5杯一気飲みして急性アルコール中毒で亡くなってしまいました。
ここのクラブには有名大学の男子学生も大勢働いています。みんな学費を稼ぐ為です。同世代の女性の客に、「おい新人、もっと面白い事言えよ」と罵声に近い冷やかしの言葉を浴びせられていました。
次の日、珍しく妹が来て、もっと親を大事にと1時間近い説教がありました。自分なりの事はしている積りですが。敢えて反論はしませんでした。未だ大学進学が少数だった時代に、母などはダブルワークをして私達兄妹三人を遣ってくれたのですから。でも時代が今なら一人も大学など行けなかったでしょう。
紹介した番組も、気の毒で泣くというより怒りで体が震える感覚で見ました。
もう冷房も要らないかなと思っていたら、さっき8月の使用電気量のお知らせが来て何時もの月の倍近くになっていました。まあ、あれだけ使っていたら仕方ありません。
白石町は来年早々町会議員選挙があり、誰が辞めるの誰が出るのと世間話も始まっている様です。知り合いの議員さんの誘いで9月議会を傍聴してきました。今はケーブルテレビで実況中継しているので、関心のある人でも足を運ぶ人は多くない様です。私が行った時も少なく、と言うか私以外は2~3人で、その内の一人は佐賀新聞の記者で、取材の様子が面白くて半分位はそちらに集中していました。(00議員さん、済みません)
大きな議題にもなっていましたが、玉葱のべと病被害は深刻です。出荷量は例年の2割程度です。自分もサイクリングの時に畑中に転がる腐った玉葱を見て只事ではないと思っていました。生産者の皆さんはどれ程がっかりされているでしょう。
私は一昔前の旧有明町の議会に傍聴に行った事がありますが、本会議は、「3分議会」と揶揄されていた位形式的だったし、一般質問をする議員も一人だけでした。不十分ながらも白石町の民主主義は着実に前進していると感じた次第です。
台風も無事通り過ぎました。
珍しく博多に行く用事があり、お付き合いが出来て一年以上になるので株式会社アドバンスの福岡営業所に挨拶に行きました。
ただならぬ雰囲気で所長が出て来られこちらも緊張しました。「担当の者が7月末で退職しました」と言われて耳を疑いました。8月もいつもと変わらず何回も電話で話をしていたからです。とにかく驚きましたが、「私も一番可愛がっていたのでショックでした」と肩を落とされました。詳しく事情を教えて頂き、退職も仕方なかった様です。
少し間をおいて連絡したら、「南里さんにはもう少し落ち着いてから報告しようと思っていました」と返事が。又自分が博多に行った時にゆっくり会おうという事になりました。何でも相談して二人三脚のつもりだったので、久しぶりの博多行きは少しほろ苦いものになりました。
ビルを出て空を見上げた時、一年前の夏の暑い日、契約が終わって肥前竜王駅まで送った際に、「長いお付き合いになりますので」と言って私の車を最後まで見送っていた姿を思い出しました。
奥園さん、仕事の上では短いお付き合いでしたが本当にありがとうございました。
(追伸)最近こんな喪失感を伴う出来事がたて続けに起こります。悪い事はしていませんが。かなり本気で近くの不動院に相談に行こうかと思っています。(半分くらいの笑)