はっきりしない天気が続きます。
そろそろ来年の用事も整理して行かないと、と思い手帳を買いました。色々あるので、どれにするか毎年迷います。
ホームページに問い合わせが入っていて、開いてみると岩手県の行政書士の方でした。今までで一番遠方の方です。ネットの世界では地図の上での遠い近いはないとは分かっていても、何か新鮮な気持ちがします。そこの土地に少し足を踏み入れたような。彼の地は東北の厳しい寒さ、雪でしょう。そこでも同業の方が頑張っておられる。背筋がピンとなりました。
前回書き込んだ事情で毎朝病院通いですが、流石に職員の皆さんとも顔見知りになりました。只、何でも不都合な面はあって看護師の一人が、「息子さん、毎日来て偉いね。早く仕事が見つかるとよかね」と母親に言ったそうです。私も、それは心外なので、「自由業で来易いと言ってくれたらよかろうもん」と言っておきましたが。とにかく、早く退院してもらわないと困ります。
買い物もしなくてはならないので、その後に開店したばかりのスーパーに行きますが、高齢の男性が多いのに少し驚きます。惣菜をよく買っておられます。一人暮らしなのかも知れません。
少し師走らしからぬ暖かさになるようです。天気が雨模様になるみたいですが。
先日お父さんが亡くなったD君からメールが来ました。読んで大変嬉しくなりました。年末押し迫ってからですが近場の居酒屋で忘年会をしようと。私の記憶が正しければ、彼が幹事的に呼び掛けるのは初めてです。弔問に行った際、少し疲れた顔で、「又、昔みたいに泊まりに来てもよかばん」と言っていた姿を思い出し、万障繰り合わせて参加しなければと思いました。一年の締め括り、楽しい場になる事を期待したいです。
体調の優れない母親が、少し検査入院する事になりました。時間をかけて新聞を読むのが好きなので、届けるのが日課になりました。
この間は丁度、病院のソーシャルワーカーの女性と話をしていました。自分もなりたいと思い、幾つかの病院に面接に通っていた頃の事を思い出しました。「介護認定も考えてもいいかも知れませんよ。手続きは説明しますから」とアドバイスされましたが、咄嗟の事で、「仕事でやってます」とは返せませんでした。
「ケアマネージャーも紹介しますよ」と言われた時に、やっと、「妹がやってます」と返しました。驚かれて詳しく聞いてこられるので、「00の小川です」と言ったら顔色が変わって、「エッ、小川さんのお母さんですか」と。仕事上、頻繁に連絡し合っているそうです。場所的にはあんなに離れているのに。改めて医療と介護の連携を認識しました。
12月も早くも中旬になり、今年も押し迫った感じがします。
先週、長く入院していた従兄が亡くなってしまいました。従兄大将というらしいですが母方の従兄では一番年長で、私ともかなり年が離れていました。通夜で二男が言っていましたが、今年の二月には佐賀医大で余命宣告されていたという事で、夏にお見舞いに行った時の様子が重なりました。
色々話が出来たのは、お正月の宴会が最後でした。年は大分違いましたが互いに長男で相通じる所がありました。その時も、「なあ隆司、人生色々あるよな」と穏やかな顔で私を見て、私も自然に、「はい、色々ありますよ」と返しました。苦労の多かった人に、少し認められた気がしました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
時々、書き込んでいる鹿島の介護施設の施設長さんから連絡がありました。「職員の忘年会があり、幹事から南里さんも誘うように頼まれました。この間、職員の出入りも多く、やるのは何年かぶりです。私も覚悟が決まったら参加する積りです。よろしくお願いします」と電話を切りました。
思い出したように仕事に行く私に嬉しい限りですが、施設長には出席してもらわないと困ります。でないと男は自分一人だけです。海千山千の女性陣十数人が、一年の楽しかった事、面白くなかった事を振り返ります。嫌な事も多かったでしょう。酒が入りその矛先は、何を言っても余り支障のない誰かに向かうかも知れません。出欠の返事は施設長の後にしたいと思います。
寒波が到来し冬本番の寒さです。
冬来たりなば春遠からじと思いたいですが、ご存知の様に春の象徴の桜が大きな問題になっています。公の行事を私物化したのではと批判が高まっています。おまけに、悪徳マルチ商法で高齢者を食い物にし、その財産を奪い取ったジャパンライフの会長が招待されていた事は衝撃的です。被害者7000人、被害総額2000億円といいますから。
良くないと思いつつ、又こんな不祥事かと冷めた気持ちもありますが、カーラジオで安倍総理の答弁を聞いて一瞬耳を疑いました。参加者名簿が資料要求された直後に破棄された事を追及され、色々弁明する中で障害者雇用の職員が行ったとも言っていました。その職員も上司の指示で仕事をしているだろうし、こんな形で敢えて職員個人の事情を言う答弁等少なくとも自分は聞いた事がありません。ここまで堕ちたかと思いました。
ペシャワール会の中村哲さんが狙撃され亡くなりました。小さい会場でしたが私も一度講演を聞いた事があったので衝撃を受けました。戦乱の続くアフガニスタンで1600もの井戸を掘り全長30キロ近い用水路をひらき、数十万の人々に恵みをもたらしました。素朴な口調で、「私達が持たなくてもよい物は何か、そして人として最後まで失ってはならぬ物は何か」と訴えられていた姿が印象的でした。
12月になりました。今年も締め括りの月になりました。
早いものでブログを始めて4年経ちました。月によって変動はありますが相変わらず多くの人にアクセスして頂き、有り難い事だと思います。最初の頃の書き込みを少し読み直してみたりすると、自分でも懐かしい気がします。こんな気持ちでやっていたんだと新鮮な発見もあります。短いものを身の丈で書いているだけなので、「発見」は大袈裟かも知れませんが。でも、開業した頃の初心は思い出す事が出来るので、自分には貴重です。とにかく、あっと言う間でした。これからも思い出した時に、よろしくお願いいたします。
私事で母親の調子が悪いと書き込みましたが、元気だと思っていた父親も若干頼りなくなってきました。
日曜に福富の方で法事があり父親と母親の代理の妹が行って来ましたが、夕方暗い顔で帰ってきました。父親が、駐車場でドアを他の車に当ててしまったそうです。「狭かけん用心してと言ったのに」と妹が御冠でした。結構良い車だったらしく、「塗装代でかなり請求されるよ」と心配もしていました。父親も、「寿司屋だから御馳走だろう」と楽しみに出掛けたので可哀想ではありますが。
人間万事塞翁が馬の精神で乗り切って行きたいと思います。