世間はもうお盆モードで帰省ラッシュも始まりました。たまには趣味のサイクリングをと思いますが、この暑さでは自殺行為だと自粛しています。最近ではもう朝一番に、「熱中症に注意してください」と白石町役場のアナウンスが流れて来ます。
神奈川県の障害者の施設で起きた惨事は余りに重すぎて、ブログに書き込みなど出来ないなあと思っていましたが、自分も佐賀市の大和にある重度知的障害者の施設に勤務した事があるので少し触れてみようと思いました。
そこの施設の入所者の方達は多くが職員と会話も出来ず、身振り手振りで意思疎通を図っていました。不思議なもので慣れて来ると何をしたいかが分かって来るようになりました。若い職員が多かったですが、気の合う入所者とじゃれ合っている様子などは今でもよく思い出します。入所者の親御さん達はよく、「この子より一日だけ長く生きたい」と仰っていました。
容疑者は、ヒトラーの思想が降りて来た、と言っていると報道されましたが、ナチスがユダヤ人と共に障害者や同性愛者を虐殺した事はよく知られています。自分達の目指す社会には不要だと言う事でしょうが、誰かが大和の施設の入所者の生きる権利を否定出来るとは想像したこともありませんでした。当たり前の感覚だと思います。
先日は仮契約の様なものだったので、ファインズの女性社員の方が、又事務所に来られました。前回とは違い大分リラックスした表情で笑顔も爽やかでした。書類の点検や今後の日程などは割と早く終わったので暫く雑談をして行かれました。
ホームページを持ってから随分と電話が掛かって来ましたが女性の方は初めてでした。聞くと、やはり営業でも女性は少ないそうです。昼夜を問わず、博多から他県に日替わりで行くのですから大変でしょう。本人も体力勝負だと言っていました。そろそろ車が欲しい、と言われたので、私が、「こんな御仕事だったらプライベートで乗るくらいでしょう」と言ったら、「私、仕事しかしていないから」と苦笑されました。まあ、こんなに仕事に取り組んでいたら他の事は自然と後からついて来るのでは、と思いました。口に出して言いませんでしたが。
私が20代の頃は、働くと言えば正社員が当たり前で、過労死という言葉は出始めてはいましたが、かなり余裕を持って仕事をしていました。社会福祉士になってから色々就職面接に行きましたが、待合室では一言の会話も無く殺伐としていました。自分達の頃は何となく世間話位していましたが。行政書士になってお付き合いの出来た若い皆さん達、本当に真面目なので努力が報われて欲しいと思います。
八月になりました。梅雨明け以来の猛暑は大変なものです。連日35度以上です。テレビでキャスターが気象予報士に、何でこんなに暑いんですか、と言っていましたが、そうですね、と笑うしかない様でした。
先日書き込んだ近所の方の詐欺事件ですが、急転直下、全面解決しました。とにかくホッとしました。
佐賀市の弁護士の相談に同行し色々アドバイスを受けました。余りにも相手を信用してしまい、大金を渡した確固たる証拠がなかったので、先方とこの通りの会話をして録音しなさい、とマニュアルを渡されました。この作業は勿論、妥当で合法的なものです。帰り道に、それ用のICレコーダーを買いました。
その頃になると、お金を取り戻す事にかなり楽観的になれていたので、「まさかこんなサスペンスドラマみたいなことになるとは」と顔を見合わせ、お互い苦笑いしました。
「約束通りお金を持って来た」と連絡が入った時には、私も事務所のソファーにへたり込んでしまいました。ICレコーダーは、「私の様な愚か者の手助けの為に事務所で使って下さい」と言われ、寄贈して貰う事になりました。
大雨で延び延びになってしまっていましたが、ネット会社の女性の営業の方が事務所に来られました。
季節は変わって今は連日の猛暑日です。私が最近悩んでいたのは、ホームページはかなりの数ヒットしているのに仕事の問い合わせがほとんど無いという事でした。たまにホームページ専用のメールが受信していて歓喜して開くと、「最近ブログがもう一つ。慣れて手抜いてる?」とかだったりするので、絶交したろうかと一瞬思います。
今回勧めて頂いた商品は、そういう現状に噛み合っている気がしました。でも、今、新しいコストを負担するのは時期尚早だと決意していたので大分悩みましたが結局新しいチャレンジをする事になりました。しかし、そんな決意が段々と溶けて行く過程には修行不足も感じました。(あくまで自分の問題なので、ファインズのOさん、気を悪くしないで下さい。いい商品を勧めて頂き感謝しております。)
事の経過をアドバンスのOさんに伝えると、「女性の営業もしっかりしてるでしょ」と他人事のように笑っていました。勿論、他人事なのですが。(笑)私は、女性を甘く見る思想は全く持っていませんが、自然と大きく頷いていました。
一カ月近く入院していた母親がやっと退院しました。色々と家事をしてくれていた事が当たり前の空気の様になってしまっていた事を痛感しました。未だ週に三回ほどリハビリに通う必要があり、病院の送迎が始まりました。
私も介護の仕事の時にしていたので、病院の送迎車を何となく懐かしい気持ちで見ています。佐賀市の施設にも勤めましたが、こんな大きい車でどうやって行くの、と泣きそうになる細い道もあり運転の下手な私は苦労しました。
母親の送迎もデイサービスとかになったら大変だと思いますが、自宅で自由業の私は少なくとも「介護離職」の心配はない様です。(笑)
学校も夏休みになり子供たちの姿も目立ちますが、この頃になると就職して直ぐに始めた少年団活動の指導員時代を思い出します。奈良の山奥にキャンプに行ったりしました。子供たちが段々懐いて来るのが楽しかったです。親御さん達から、「南里さんはよっぽど子供が好きなのね」と言われましたが、最初は違いました。始めた動機は職場の先輩がニヤニヤしながら、「指導員同士で交流もあって楽しいぞ。結婚した奴もいるらしい」と、一人暮らしを始めたばかりの自分に話し掛けて来たからです。