11月最後の書き込みになりました。
母親が少し調子が悪く無理は禁物なので、家事全般を引き受ける事になりました。と、あっさり書くのは簡単ですが、実際やるのは大変です。今までも結構していたつもりでそういう事をしなければいけない仕事もして来ましたが、こんなに時間を取られるものかと愕然とします。高齢の母親に、これだけ色々して貰っていた事に本気で感謝したい気持ちです。けれども心の何処かで、早く回復してくれないかなあと思う自分も居ます。日曜日に妹が応援に来てくれましたが、手際の良さにびっくりします。何でも自分の半分位の時間で済ませます。料理を作っている端から汚れ物を片付けるテクニックは、とても真似出来ません。
そんな中、「お母さんが大変らしいね」と久しぶりに電話を貰った方がいました。懐かしく、折り返しこちらから掛けた事も忘れて一時間近く話してしまいました。以前、武雄市の議員を長くやって居られたので、色々教えて貰いに家に伺っていました。感心したのは、住民から受けた相談を記録した何冊もの大学ノートです。相談の内容、調査の経過、市役所の窓口とのやり取り、専門家(勿論士業も)との相談等びっしりと書かれていました。
近々、再会する事を約束して長い電話を切りました。
11月も残り僅かになりました。
今年2月にお付き合いが始まり、父親が音楽ボランティアでお世話になっている鹿島の介護施設の施設長さんから電話がありました。用件は予想していた通りで、「女性陣が出勤し難い年末年始の業務を手伝って欲しい」という事でした。恒例だった佐世保行きがなくなり決まった用事はないので、出来る限り協力したいと思います。
そういう時期になったと改めて思います。月並みですが、施設長さんとも、「この間、正月だ幕の内だと言っていたのに」と言い合いました。施設の運営に忙殺され、まともに休めないので時々愚痴も聞かされますが、「人生あっと言う間ですよね。自分は後00年程、南里さんは後00年程したら死ぬんですからねぇ」と言われた時には自分もドキッとしました。お互い、悔いのない人生をと思いました。そして、もう一つ連絡があって、「クリスマス会の余興は又頑張りましょう」と。私の返事もそこそこに電話が切れました。断る暇がありませんでした。
厳粛な気持ちで書き込まなければいけない事があり、高校の同級生D君のお父様が急死されました。先月でしたが今頃知り家に行きました。精神のタフさを尊敬するD君ですが、流石に疲れが見え体重も減ったと言っていました。若い頃は何度も押しかけ、家に泊めて貰いました。大分迷惑だったでしょうが、玄関に出てこられたお父様は温和な口調で、「泊まるなら鍵を閉めて。夜中帰るなら閉めなくていいから」と笑って言って下さいました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
朝はこの秋一番の寒さになりました。
ヤフーとラインの経営統合が話題ですがラインは国内八千万人が利用しているらしく、携帯など関係ない年齢の人もいる事を考えたら凄い割合です。やってない自分などは本当に少数派になってしまいました。インターネット等通信技術の進歩は留まる所を知らないようです。
今更ですが仕事のスタイルも大きく変わりました。今やっている申請の件も、多分依頼者の方とは一度もお会いしないで終わりそうです。神埼の方で白石からは少し離れている事もあり最初から、「全部メールと電話でお願いします」との希望でした。一度も会わないで仕事をするのは今までなかったので、少し物足りない気もします。まあ、今はテレビ会議等が普通の時代なので仕方ありませんが。
私と同じ位アナログ的人間(気に障ったらすみません)の大阪の佐世保の先輩からメールが来ました。認知症のお母様が、無事お孫さんの結婚式出席をこなされたか気になっていましたが大成功だったようです。おばあちゃん子だった新婦も、この上なく喜んだという事で良かったです。
大阪への母親の引き取り、佐世保の実家の管理の件、長男の再就職、三男の結婚式決定、長い間悩んでいた一連の心配事が良い方向へと動き出し、メールの文面からも明るい安心感が溢れていました。
一日の気温差が多く、体調を崩さないようにしたいと思います。インフルエンザが早くも流行期に入りました。
用事があり近くの農協の支所に行き窓口に立っていると、一番奥の机に座っている人がチラチラ自分を見ていて終いには小走りで向かって来るので、一瞬何かしでかしてしまったかと緊張しました。すぐ横に体を寄せ胸の名札を指差します。「俺たい、俺たい」と笑う顔を見て、懐かしさで一杯になりました。高校の同級生のT君でした。二十歳の時の同窓会以来です。この支所には今年の四月から勤務しているという事でした。
結構親しくしてもらい、お互いの家も行き来していました。陸上部で頑張っていて大のプロレスファンでもあり、部屋にはレスラーの大きな写真が何枚も貼ってありました。あ、試合に誘われたこともありました。当時の試合は流血が付き物だったので断りましたが。
彼が席に戻り窓口の女性に、「Tさんだったら良い上司でしょう」と言ったら、「ハイ」とニッコリしていました。
日が替わり、こっちは予定されていた同じく高校の同級生Y君達との食事会です。Y君は今年の五月に行政書士事務所を開設しました。彼とも卒業以来なので懐かしく、話は昔話ばかりです。同業者として色々聞きたい事もありましたが、途中でどうでもよくなってしまいました。容姿、人柄、高校時代と変わらず嬉しかったです。幹事役のT君にもお礼申し上げます。
冬本番のような寒気が来る予報で初霜になるかも知れません。
佐賀平野の稲刈りもほぼ終わったようですが、極端な不作で生産者の方にも笑顔がありません。自転車を走らせていると、干拓地区等の田は明らかに例年とは色合いが違いました。有明海からは距離のある私の家の周りの田は余り被害がないようですが。それでも、今は生産者の皆さんが行き来して協力しながら作業をしているようなので、機械に乗り込んで自宅の裏の田を刈っている近所の人も何となく冴えない顔でした。
テレビのニュースでアフリカの色々な国の高官が、農業県佐賀の技術を視察に来ている様子を報道していました。その分野の大臣級の人達という事で、農業とは全く縁のない自分も勝手に誇らしい気持ちになりました。生産者の人が方言丸出しで説明している姿は微笑ましくもありました。通訳の人は大変だったでしょうが。彼の大陸では安定した食料の供給がまだまだ道半ばで、高官の皆さんの表情も真剣そのものです。
私の癖で思考が飛躍し、ある新聞記事を思い出しました。「ビリオネア」と呼ばれる世界の最高富裕層は’87年の140人から’19年には2153人に増え、その資産総額はアフリカ55か国のGDPの4年分になったそうです。日本でも経済格差が言われて久しいですが、富の分配は本当に大事だと思います。