若干、正月気分も残りますが世間は通常のモードになっているようです。
年始からの中東の事態は、世界中の人達が心配しています。年が明けて直ぐに起こった湾岸戦争を思い出しました。何故、イランでナンバー2と言われる要人を殺害したのか理解に苦しみます。このまま事態が悪化すれば、民族、宗教、石油等が複雑に絡み合っている中東全体を巻き込む破滅的な戦争になるでしょう。去年、政府が決めた彼の地への自衛隊の派遣も変更しないらしいですが、止めた方がいいと思います。
正月のテレビのスペシャル番組で色々な分野の識者が口を揃えて、「これからの10年の取り組みが、地球や人類の未来を決める」と言っていたのが印象的でした。戦争などしている暇はないと思いますが。
夕食の時、父親が何かソワソワして私を見るので不思議でした。やっと口を開き、「鹿島の事ばってん・・・」と言います。鹿島の事というのは、介護施設での音楽ボランティアの事です。辞めると言い出すのかとドキッとしました。
「これがあったら音楽の幅が出てもっと喜んでもらえると思う」と広告のチラシを見せました。小型の電気オルガンでした。値段は39、800円。自分で買おうかとも思ったけど、他では使わないから勿体ないとも思い、迷っているとの事。私は直ぐに施設の備品として購入してもらえると確信したので、そう言いました。何日も前に来ていた広告でした。
丁度、カジノ誘致で複数の国会議員が百万円単位の賄賂を受け取った疑惑を報道するニュースが流れていて、父親の嬉しそうな顔を見ながら、数万円のお金を真剣に考える当たり前の庶民感覚を持って欲しいものだと強く思いました。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
正月三が日は、まずまずの天気で良かったです。
二日に、約束していた鹿島の介護施設の仕事に行きました。朝、意外と車が多く驚きました。初詣でもないだろうし遊びに行くには少し早いので、仕事の人も多いのかと思いました。私は今日一日の一元さんですが、こんな風に頑張っている人達のお陰で正月の社会も回っているのだろうと。
職員や利用者さんに年始の挨拶等していると、新鮮な気持ちがしました。業務の方は外泊の方が殆んどなく大変でしたが。「お正月にご苦労さま」と、施設長のお母様からその日出勤の職員にお年玉が出ました。私も同じように頂き恐縮しました。今年も連絡が来たら、馳せ参じたいと思います。妹からは、「あんまり当てにされても」と苦言を言われますが。
年初に不幸事を書き込みご容赦下さい。尊敬していた方が大晦日に亡くなりました。書き込みをした後に訃報が飛び込んできました。2016年の3月の熊本市の集会で同じ部屋に宿泊し夜遅くまで語らい、その後も色々とお世話になった方でした。
重松隆さん、何事にも誠実に向き合う姿はこれからもお手本にします。心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
今年も大晦日になりました。
日曜日に高校の同級生T君、D君と忘年会をしました。今年から同業者になったY君は別の忘年会があったそうで、幹事のT君に丁寧なメールが来たそうです。白石商店街にある居酒屋は私は初めてでしたが、広くて感じのいい店でした。料理も美味しかったです。隣の部屋には大きな宴会が入って盛り上がっていて、如何にも年の瀬の感じでした。昨日まで仕事だったというD君もホッとした様子でした。T君は「サザエさん」を見る為に三十分程中座しましたが、満足した様子で戻って来て一番多弁になっていました。昔の事に花が咲き、これからの事で話が弾み、楽しいひと時でした。店を出て帰る途中で、今年も一区切りつき来年も頑張ろうと思えました。
大阪の佐世保の先輩からは、送ったレンコンのお礼の長文メールが届きました。大阪の知り合いの方々も年を重ね、色々ご苦労されている様子もありました。皆さん、来年もお元気な事を祈るばかりです。
今年は新しい出会いに恵まれた年でした。父親が音楽ボランティアに行っている介護施設とのお付き合いも、その一つです。勿論、仕事を頼んで頂いた方々には心からお礼申し上げます。まだまだ手探りで反省も多い日々ですが、来年も全力を尽くしていきたいと思います。
今年、私に関わって頂いた多くの皆さん、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。良いお年を。
今年の年末年始は曜日の並びが良く、九連休になる人もいるようです。今日が仕事納めだという方も多いでしょう。
もう急がねばと思い、今年オープンした白石道の駅に行ってレンコンの配送を頼みました。未だ身動きの取れない母親の分まで頼まれたので結構な数です。うっかり電話を聞いていなかったのがあって受付で困りました。気が急いて、「電話が抜けているくらい何とか」と言ってしまいましたが、今どきの配達事情相手の電話番号を書くのは常識だとは分かっています。「急がれますよね」と便宜を図ってもらい助かりました。
買い物客が多いのに驚きました。色々な物産品が飛ぶように売れていました。帰り道のレンコン畑(水が張っていて池のようですが)では未だ収穫作業が続いていて、寒い中大変です。
次の日の朝、母親に無事発送したことを報告に行くと、実習中の看護学生がお世話をしていました。仕事をする姿が初々しく、思わず「頑張れ」と言いたくなりました。自分も福祉や介護の資格を取る際に、あんな風に実習があったな、と思い出しました。母親も目を細めて受け答えしているようでした。
今年もあと僅かになりました。
以前に書き込んだ鹿島の介護施設の忘年会に参加しました。女性職員の多い職場の宴会という事で、緊張して会場に向かいました。酒や料理を楽しむ場に、あんなに固まって参加したのは初めてかも知れません。来てくれれば大分助かった施設長は、用事があるとか言って結局欠席してしまいました。男はいよいよ自分一人かと思いましたが、主に夜勤をしている男性職員の方が勤務を調整して参加し私の横に座ってくれました。
会は最初から和気あいあいとした雰囲気で、仕事の愚痴など出て気を使うのではという私の老婆心は直ぐに吹き飛びました。私の横の女性職員の方は、病気をして何回も辞めようと思いながら勤務した気持ちを切々と話してきました。私がたまに業務に行った際は、厳しい口調で指示をする人でした。誰もが色々な思いを持って仕事と向き合っていると、改めて感じました。
そして、余り日を置かずに施設のクリスマス会が行われました。余興は何の役回りかと、こちらも緊張しましたが、施設長と二人普通にサンタクロースの格好をしてくれればいいと言われ安心しました。しかし、やはり一捻りあるもので、森で骨折してしまい車椅子でトナカイに押され登場し上手く笑いを取れというミッションでした。
必死だったので何をやったか余り記憶がありませんが、爆笑が起こった事は覚えております。