四月になりましたが初夏のような陽気です。そう言えば、先日佐世保に行った際に驚いたのは、米軍基地で暮らす家族だと思いますが、海岸で水着姿になり海水浴やカヌーを楽しんでいた事です。
確かに汗ばむ天気でしたが、まだ三月なのに、泳げるんだったら泳ごうという発想が凄いと思いました。ああでなくては世界中で活動するという風に行かないのでしょう。さすがに佐世保で生まれ育った先輩は慣れたもので、気軽にご婦人達に話し掛けていました。勿論、日本語で。
私などは、生まれて初めて外国人を見たのは、それこそ佐世保への小学校6年頃の日帰り修学旅行の時です。こんなに世界がグローバル化するなんて思ってもみませんでした。
グローバル化と言えば、若い頃世界中を飛び回った高校の同級生T君ですが、先日ぶらりと来て色々書類を置いていきました。その一つは新聞の読者の声欄に載った彼の投稿で、「旅と酒と女を愛することにかけては小生、人後に落ちない」との一節などもありました。凡人には意味不明の点もあって、西日本新聞の度量の大きさを感じました。
彼は、読み終わった高価な本や雑誌を惜しげもなくくれますが、この間の文芸誌は、「死ぬまでに絶対読みたい名著」の特集でした。挙げられていた数冊の表題を見ながら、読む気はないのに何となく、ああ、こういう本にちゃんと触れないと死んだら駄目なのかと少し不思議な気持ちになりました。
まだ三月なのに夏日の気温とはどういう事でしょうか。
いつもはゴールデンウイークにお会いする大阪の佐世保の先輩から連絡があり、お父様の十三回忌の法要で帰省するとの事でした。そういう事情なので、日帰りでお顔を拝見する位だろうと思っていましたが、いつもの様に泊り支度で、とメールが来ました。少し驚いて電話すると、「お寺の法事は直ぐ終わるから、あんたも一緒に出たらよかさい」との返事。私はお母様には可愛がって頂いていますが、お父様には会った事もありません。先輩にも良くして貰っていますが親戚ではない筈です。それでも、断る理由もないので、いつもの様に意気高く車を走らせました。
色々散策した後、運転をお願いしていた先輩が山手の方にハンドルを切り、聞くと、「5歳位まで住んでいた家へ行ってみる」との事。着くと、周りを新興の住宅街に囲まれた炭鉱長屋がありました。お隣の表札はそのままでベルを押すと、お婆さんが出て来られました。五十数年ぶりの再会ですが直ぐ分かった様子で、「お父さんとそっくりだから」と言われました。私の生まれ育った所も炭鉱町で、原風景が同じなので自分もタイムスリップした様でした。
無事法事も終わり、たまにはお母様も遠出にと、姪御さんの案内で平戸に向かいました。やはり、若い女性のアンテナは確かで美味しいヒラメ料理をご馳走になりました。吉松家、福田家の皆さん、大変お世話になりました。
桜の名所では、もう見頃の様で大勢の人出のようです。
私の住む古賀地区の年に一度の総会が公民館にて行われました。農村地帯なので、前半は農家の方の総会があり、その後に全区民の会議でした。委任状を預ける人も多く、出席は五十人程でした。去年も書きましたが、その方面が得意な方がいるらしく会計の資料が見事で感心します。順調に議事が進み今年も無事終わりそうだと思いましたが、最後の役員体制の所で予期せぬ事が。「今日までの所で、次の区長が決まっておりません」と議長が報告し、場がざわつきました。今の鈴山区長が、「私も体調が優れず、色々な方にお願いしましたが駄目でした」と肩を落とされると、会場が静まり返りました。
私は昔から根拠なく、誰もやる人がいない、でも誰かがやらなければならない、ならば自分がやる必要があるのでは、という思考回路が出来上がっている部分があって一人緊張していました。自分の歳で区長など不可能だとは分かっているのですが。
すったもんだの議論の後、当分区長不在でやっていく事になりました。古賀地区は二百戸近くあり、旧有明町でもトップクラスの大きさです。そこでこうですから地域の後継者不足は深刻です。総会後の懇親会は何時もより少ない人数でしたが、地域の問題が色々出て去年とは違った雰囲気でした。
佐賀は桜が開花しましたが花冷えになっています。
大学の後輩のA君と久しぶりに会いました。去年の七月、二十数年ぶりに再会して以来です。KEIRIN.JPに勤務していて、佐世保のミッドナイトレースが終わった翌日に来てくれました。大阪に自宅がある彼は現在、福岡の筑紫野市でアパートを借り単身赴任中です。もう二年経ち、大阪に戻れそうだと言っていましたが一年延びてしまいました。
長い間、音信不通だったのが私のホームページを見つけてくれて再会出来ましたが、それ以来ブログを読んでくれているとの事。有難い事です。そして、頻りに、「苦労が多いですね。」「大変でしょうが、くじけず頑張って下さいね。」と言います。最初、ピンと来ず、「何でそんなに心配してくれるの。」と言うと、「行政書士の仕事の書き込みは殆どなくて、農作業やアルバイトの書き込みばかりだから自分もつらくなって。」と目を伏せました。昔から、情のある男だとは分かっていましたが、少し誤解もあったようでした。
白石町界隈は食事をする所はそこそこありますが、ゆっくり話が出来る喫茶店の類の店が中々ありません。色々走り回って、私の母校の白石高校の近くのお店に初めて入りました。落ち着いた雰囲気で私は気に入りましたが、A君は、「正面のテーブルの女の人がジロジロ見ていて少し不愉快でした。」と言いました。「君に気があったのでは。」と軽口を言ったら、「そんな事、ありませんがな。」と懐かしい河内弁でした。
もう寒くならないと言っていたら、寒の戻りがありました。
県立高校の合格発表があり、お世話になっている太良の山田家の長男さんが、無事、名門鹿島高校に合格しました。黙っていては義理を欠くという事で、ケーキ等用意していた所、携帯が鳴り父親の山田社長でした。もう人を頼んでの作業は終わっている筈で何事かと思いましたが、顔も見たいしデコポンを持ってくるとの事。波長が合って驚きましたが、予定通り私が出向く事にしました。
先月1日に急な作業に召集されて以来の太良の山並みと海でした。やはり、作業の時とは気分が違うもので、ゆったりと車を走らせました。今は行政書士の本業を持ち自分の環境も変わりましたが、とにかく農作業に慣れようと必死で通っていた頃の思い出は捨て難いものがあります。山田家では訪問を大変喜んで貰いました。長男さんも晴れ晴れとした様子で、社長と同じ様に野球部で頑張るという事です。只、少しびっくりしたのは、入学式の翌日には試験があり、その結果でクラス分けがあるそうです。成績だけでクラスが決まるのもどうかと思いますが。
予定通り月末、大阪に家族旅行に行くそうですが、先代のお父さんは足手まといになるからと参加を辞退されたとの事。社長から一晩位相手をしてくれとの業務命令がありました。
長男さんが、貰ったデコポンを少し離れた公園の駐車場まで運んでくれました。「頑張って、鹿島高校でトップになって。」と言ったら、「ハイ、頑張ります。」と大きな声で返事をしました。