そろそろ桜の季節になるようです。
東日本大震災から8年になります。ここ何日か被災地のニュースが多くなって、インフラ等復興が進んだ様子や未だ5万人以上の人が避難生活を送っている事等報道していますが、まだまだ大変な状況の様です。国が設定した「復興・創成期間」の10年の終了が迫り、復興庁や復興特別交付金の廃止など復興支援策が減らされるという不安も広がっているとの事でした。
発災から暫くは大惨事の記憶も新しく、経済発展の過度の重視や便利さだけの追求を自重する雰囲気が強かったと思いますが、いつの間にか株価さえ上がればいいとか原発をどんどん稼働させようという路線になってしまったようです。原発については、輸出しようとしていた数か国全てが安全性・コストの問題で駄目になっていますが。
先日書き込んだ鹿島市の介護施設の立ち上げに関わっていたのは震災の年でした。テレビの映像を見ていた利用者さんが、「命や安全な生活が一番大事」と異口同音に言っていたのを良く覚えています。
そんな事を考えていると、被災地のボランティアにも行った高校の同級生T君がぶらっと来て、田んぼに囲まれた所に喫茶店がオープンしたので行ってみようと言いました。着くと、「本日リフレッシュの為休みます。明日から頑張ります」と張り紙がありました。店の屋号は「気まぐれ屋」で苦笑いしてしまいました。
三月に入って雨の日が多くなりました。
先日書き込んだ以前勤務していた介護施設から、「一日業務中に来ませんか」と、お誘いがありました。介護の現場から離れて約10年。施設の立ち上げのお手伝いをするにしても、色々不都合もあるだろうと思い行って来ました。
江北町の施設でケアマネージャーをしている妹から聞いてはいましたが、現場の人手不足は深刻です。当初の不遜な見物気分は直ぐに吹っ飛び、夕方にはクタクタになってしまいました。設置基準が昔に比べてどんどん緩和されているのも分かります。資格者の配置、正社員の割合等が以前のレベルだったら、とても回って行きません。施設を引き継いだ息子さんの御苦労も如何程かと思います。妹から教えて貰った外国人介護者採用の実例を話すと、食い入るように聞いていました。介護が必要なお年寄りは増えていて、「申し込みがあっても断っていて残念」とも。職員の待遇改善もまだまだ道半ばの様です。
少し前に大阪の佐世保の先輩から長文メールが来て、認知症のお母さんの初夏からの介護について悩んでいる様子でした。春の足跡が高まっているのに、心が若干「冬曇り」だと。大学時代の友人のA君は、結局大阪に戻る事になった様で、「九州勤務を希望しましたが」と、少し残念そうでした。自分も含めて様々想いを抱えながらの年度替わりです。
三月になりました。佐賀ではこの冬は観測史上最も平均気温が高かったそうです。
用事があり唐津市厳木に出掛けました。
先月28日で、午前中曇っていましたが昼からは良い天気になりました。思ったより早く用事が片付いたので、山間いの道を散策しました。天山の方から流れて来る川は透き通っていて、日頃は濁ったクリークしか見ないので驚きました。山の間から吹く風は暖かく爽やかでした。用件の相手方との雑談で、この辺りでも限界集落が多く便利な麓の方に引っ越す人が多いと教えて貰いました。自分の平野部での暮らしは恵まれていると感じました。
久しぶりに少し遠出をして気分よく帰路に就きましたが、カーラジオからオリビア・ニュートン・ジョンの「そよ風の誘惑」が流れて来ました。その日体感した山間いの風とイメージが重なりました。けれども未だ二月。やはり、厳しい冬を乗り越えたと四月になった頃に浸りたい気分かなとも思います。
話は変わり、大学時代の友人のA君に電話しました。九州での単身赴任が今月迄だと思い出したからです。大阪に戻りたい事情と、子供さんの大学進学もあり手当の多い今の勤務を続けたい事情との間で悩んでいる様子でした。健康に気を付けて頑張って下さい。又、一献。
今月最後の書き込みになりました。分かっていた事ですが二月もあっという間でした。
夜、家の電話が鳴り父親が出て、「鹿島の00さんからよ」と言います。直ぐに分かりません。出てみてやっと分かりました。七年前に勤務していた介護施設の、当時は未だ別の仕事をしていた息子さんでした。四年前からお父さんに代わって施設長をしているとの事でした。時々、施設に来た時に少し雑談する位の間柄でしたが。
「うちを辞めてからどうしてるか気になっていたんですよ」と言われ、「お陰様でもう一棟立てて順調にやってます。一度覗いて下さい」と明るい声でした。もう何年も経っているし社交辞令だと思いましたが、何となく嬉しく、「ハイ、必ず伺います」と返事しました。
日曜日に行くと、大きな施設が新しく建っていましたが周りの雰囲気はそのままで懐かしく思いました。私はオープン時のスタッフとして採用され他に4人程のメンバーでしたが、今は15人以上働いています。当時のスタッフと再会出来るかもと楽しみでしたが、1人を除いて辞めてしまっていました。
電話をくれた息子さんも貫禄が出て驚きましたが、一時間近く話し込む中で本当に消息を気に掛けて貰っていた事が伝わって来て、渡る世間に鬼はないと実感しました。
一雨毎に春めいて行くようで雨の予報が多い様です。
先日書き込みましたが、お寺を借りての集いが開かれ参加しました。日頃は中々正面切って話せない暮らしの困り事や不満、加えて政治についての思い等も、ざっくばらんに語り合おうと15人程が集まりました。住職さんをはじめ多くが白武先生の知り合いの人達でした。初めて入ったお寺でしたが古臭い感じがなく、割と近年に改装されたのかも知れません。お茶や珍しいお菓子も用意して頂き、一同恐縮しました。
途切れる事なく話が弾み楽しいものになりました。年配の方が多かったので年金や介護、医療の話題も多く出ました。良くなっているとは思えないので、何とかして行きたいという思いが伝わって来ました。戦争体験から平和への熱い気持ちも切実です。異口同音に、戦争だけはしてはならないと。
大学まで一緒だったS君のお姉さんにも久しぶりに会いました。18歳の姪御さんが去年の県知事選挙で初めて投票した話をされ、「友達を誘ったのに誰も投票に行かなかった、と姪が残念がっていた」と。そこからおのおの高校時代の授業の話題になり、「今は色々制約があるかも知れないけど、自分達の頃は選挙の事も具体的に話してくれる先生も多かった」との声もありました。自分も公民の資料集に、各政党の綱領や理念が乗っていた事等思い出しました。