天気は下り坂です。
書き込みの日付は22日ですが、出来事は23日です。
お付き合いのある鹿島の介護施設の施設長さんから、少し切羽詰まった感じで電話がありました。どうしても勤務の体制がうまくいかないので、一日来てほしいという事でした。義を見てせざるは勇無きなりとまで言うと大袈裟ですが、お世話になっているので出掛けました。朝、妙に車が少ないので違和感がありましたが、暫くして四連休の初日だと思い出しました。だから、休む職員が多く呼ばれたのだと。今頃、何故昨日からドタバタと「Go To」が始まったのかも分かりました。それにしても何となく影の薄い連休です。
自分の気分は中々ゴーツーにはなりません。佐賀県でも本当に久しぶりに新規感染者が出たと思ったら、あれよあれよという間に10人近くになりました。今の所若い人達ですが、同居の父母、祖父母の感染も心配です。全国でも一日の最高を更新しました。もう命か経済かではなく、感染で命を落とすか生業が立ち行かず命を繋ぐ事が出来ないかの事態になっているのは理解できます。その上で、「Go To」は一旦立ち止まって代案を練った方がいいと思うのですが。
施設長も出勤していた職員も心配そうでした。休日なので家族の面会がありましたが、解禁していた玄関のスペースでの対面も取りやめ、又、中庭からのガラス越しの方法に戻りました。それでも利用者さんは嬉しそうでしたが。
大雨は小康状態です。平年はそろそろ梅雨明けの時期ですが。
母親の入所している施設の専属の医師から、「一度はしっかりとご家族と話をする事になっているので」と連絡があり出掛けました。
私と同世代位の穏やかな口調の感じのいい先生でした。丁寧に今の健康状態やこれからの留意点を説明してもらいましたが、やはり話題はコロナ禍の事に。勿論、私の一番の関心事は何時から面会できるようになるかですが、見通しは暗いようです。佐賀だけ落ち着いても駄目で、全国的に収束しないと厳しいと。一昨日は東京、全国共に過去最高の水準では先が見えません。
この間、嬉野医療センターの受診の際に早めに行って受付などした事に好感を持ってもらったらしく、色々話が弾みました。感染者が多かった都道府県では、「医療崩壊の瀬戸際」になったとも。ヨーロッパの状況は日本より遥かに酷いと思っていましたが新聞などで、日本の集中治療室の数はドイツの6分の1、イタリアの半分以下しかない事を知り驚きです。医師の数もOECD加盟36か国中32位です。保健所の激務が問題になりましたが、ここ30年で850カ所から472カ所に減っています。自分が若い頃は、日本の医療、保健は世界有数というイメージがありましたが深刻に後退しているようです。
何時になったら天気予報から雨マークが消えるのかと思います。恨めしい位に雨が降ります。
大雨の原因の一つに、やはり、温暖化があるそうです。海の温度が上がり大量の水蒸気が発生して豪雨の素になると。洗濯もなかなか出来ず困ります。屋根のある所に干していても、横殴りの雨に濡れたり強い風に吹き飛ばされたりします。
長い間会っていなかった人から電話があり、時々参加していた社会保障や福祉の勉強会のメンバーでした。コロナ禍で中断していたが再開しているのでよろしくという事でした。又やっているのならと思いましたが、もう4か月ほど佐賀市に行っていない事にも気が付きました。一時、県内でもなるべく外出しないように呼びかけられていましたから。
お付き合いのある鹿島の介護施設からも久しぶりに電話がありましたが、いつもの施設長からではなく職員さんからでした。「まだ全体の飲み会はしづらいけど有志でこじんまりやるので是非」と嬉しいお誘いでした。勿論予定していましたが、この大雨で延期になってしまいました。一人の方の近くの川が氾濫寸前になったそうです。日を改めて気持ち良くという事になりました。まあ、軍資金さえあれば酒は逃げないので。
施設の横には川があり、以前はよく溢れていたそうです。施設長のお父さんが区長をしていた時に、行政と一緒に大分改修をしたそうです。「もしもの時は男手が要るので」と言われています。
今年の豪雨は何と表現していいのか分かりません。風も強く嵐のようになっています。土砂災害警戒も出ました。これだけ長い間降り続くと、何時崩れるか心配です。
近畿の方も大雨があったそうですが、大阪の佐世保の先輩にもメールで白石町の事を心配して頂きました。加えて、お母さんの介護を一旦奈良の妹さんに引き継いだともありました。九州でしか暮らしたことのないお母さんを大阪に引き取り、お世話をするのは大変だったと思います。佐世保で一生懸命にお世話をしていた姪御さんからも労いの言葉があったそうで、先輩も嬉しかったでしょう。
先輩の勤務先の羽曳野市では市長選挙の真っ最中です。五人立候補していますが、全員力がある大激戦だそうです。先輩が真っ黒になって応援している人は、私も良く知っている人です。元教員の方ですが、色々な運動に先頭になって頑張っていました。顔を合わせると、必ず気持ちよく挨拶してくれました。健闘をお祈り申し上げます。
博多のK君から丁寧な御中元が届きました。実際に宛名書きをし送ってくれたのは奥さんでした。二度ほど電話で話した位なので恐縮です。彼も、ずっとがむしゃらに仕事をしてきて少し疲れたと言っていましたが、誰でも勇気を持って若干ゆっくりする事は大事だと思います。
三年半前の同窓会で30年ぶりに会って、気持ちよく付き合ってもらってます。いくら若い頃に遊びまわった仲でも30年も全く会わないと空白を感じるのかも知れませんが、そういうものがありません。嬉しい事です。
これでもかこれでもかと激しい雨が降っています。
九州南部で大災害になり、今度は九州北部が線状降水帯に覆われました。本当に毎年大雨の災害が起こるようになってしまいました。
白石町も二時間おき位に、警戒を呼び掛ける役場の放送が聞こえてきます。最初は山沿いの集落に避難指示が出て、次の放送では全町に避難指示が出ました。家の傍の廻江川の水位も、今まで見たことがない高さになっています。裏の玉ねぎ畑には水が張って湖のようです。予報ではまだまだ降るとの事。浸水したら近くの有明公民館に避難しなければなりません。
母親の入所している施設から、主治医の先生が色々説明したいので、週が明けたら来るように言われていましたが身動きが取れません。鹿島の祐徳神社を流れる川が溢れたそうですが、付き合いのある介護施設のデイサービスに傍のお店から通っていた方が居るので気になります。
どうしても用事があり、今の所浸水の心配のなさそうな方向なので出掛けました。用事が終わり周りを見ていて、昔の事を思い出しました。新聞配達のアルバイトをしていた時に大雨の日がありましたが、バイクの音に気が付き濡れるのに外まで取りに来てくれた人が居ました。あの家だったなと思い、懐かしかったです。