暖かかったり寒くなったりで三寒四温の時期になったようです。
事務所に来た人と話をしていて、先方もこの先の生活が経済的にも不安だと言っていました。「このコロナ禍ですから大勢そう思っているんじゃないですか」と応じました。「最後のセーフティーネットで生活保護もありますから」とも。「そうは言っても田舎は特に受給するのに偏見が多いですよね」と、少し暗い顔をされました。自分も大阪にいた頃は結構権利として根付いているような雰囲気を感じていましたが、今の地域のそれはギャップがあります。
何年か前に、調べる事があって役場の生活保護の担当課に行った事があります。職員の、「申請ですか」と、緊張して強張った顔をよく覚えています。「調査です」と言うと、明るい表情になり丁寧に説明してくれました。制度の現状を体感した気がしました。
22日に画期的な大阪地裁の判決がありました。国の2013年8月からの生活保護費引き下げは違法だと初めて認めた内容です。原告の皆さんが涙を流しながら抱き合う写真を見て涙腺が緩んでしまいました。コロナ禍もあり、何時この制度に頼る事になるか分かりません。大変前向きな事だと思いますが、厚労省のホームページにも、生活保護を利用する事は権利、といった趣旨の記述が登場したと聞きました。
この問題を考える時に多くの人が思い出すのは、「人間裁判」と呼ばれた朝日訴訟。朝日茂さんは亡くなるベッドから看護師に頼みました。自分の言葉をカルテに書き留めてほしいと。「憲法に保障された生存権を堂々と掲げ、多くの人の支援を受け闘えた悔いのない人生だった」。
一晩に7万円の接待を受けて法を犯す官僚に、庶民の悩ましさが理解できるのだろうかと思ってしまいます。