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2023.3.9ブログ更新します。
気温が20度近くになり、一体何月だろうと思ってしまいます。
一か月ぶりくらいに江北町のK君に会いました。同級生の近況の情報が聞けることも多いですが、初めて亡くなった人のことを聞きました。高校の時の同級生で、私は付き合いがなくほとんど記憶にありませんが、K君は博多で会ったことがあったそうです。訃報を聞くのは、やはり、悲しいものです。一月におばさんが亡くなったそうで、長崎のお姉さんと法事に行く予定があると言っていました。お姉さんとも一年近く会っていませんが、自営業のお仕事が相変わらず忙しいようです。
軍事費が約5兆円増える国の予算も成立が確実になり、「新しい戦前」という言葉も現実味を帯びてきて怖い話ですが、正月に遊びに来ていたK君と父親との会話を思い出します。小さい頃に中耳炎を患い一生苦労することになった父親ですが、K君が、「そのくらいだったら治療できなかったんですか」と尋ねていました。「その頃は大多数の男は強い兵隊になるのが唯一の目標で、親も教師も子供のそのくらいの病気には余りかまってくれなかった」と答えていました。「まして精神的な病気なんかは(軟弱者)と決めつけておしまい」とも。戦争に向かって走り出した国家というものは、本当に恐ろしいものです。
10日東京大空襲、11日東日本大震災と忘れることができない日が続きます。世論調査で七割が反対している原発の稼働期間の延長など、理解に苦しむ政策もありますが、母親が話していた佐賀空襲の時の話も思い出します。母親は10歳くらいだったと思いますが、「夜中、佐賀市の方が真っ赤だった」と言っていました。自分は人間の想像力を過小評価するつもりはありませんが、体験していないことを実感するのは難しい面があります。戦争体験を聞くことが、本当に少なくなってしまいました。